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-本文章出自日本杂志『with girls』-
【 幸福|幸福的味道(一)】编辑 |麦池· 主播 |哈静
幸せの味 (一)
幸福的味道(一)
先週、歯磨きをしながら涙した。
歯茎にブラシを滑らせながら、ふと「息子たちは幸せかな?今までは幸せだったかな?」と、一緒に過ごした時間を思い返したら、なんだか涙が出てきた。
上周,我边刷牙边哭了。
我用牙刷来回摩擦牙龈的时候,突然想打“我的儿子们幸福吗?我到现在为止的人生算是幸福吗?”,于是回忆起与他们一同度过的时光,不知怎么地眼泪就掉了下来。
長男は、19歳。一人暮らしの準備を始め、顔を合わす時間も急激に少なくなり、「人生の中であとどれくらい一緒にいられるのかな?」と思ったら、その時間の少なさが急に切なく感じた。もっとああすればよかった、もっとこうしてあげればよかった。止まらない「もっと」という感情。
大儿子今年19岁。准备开始一个人的独居生活,以后跟他见面的时间会突然变少。我一想到“在之后的人生中我们还能在一起多久呢?”,我就会涌起一股寂寞与孤独,感叹时间太短。要是再多为他做一些这个,做一些那个就好了。思绪停不下来的想“再多一些”。
母についても、ふと「お母さんは幸せな人生だったかな?」と。自分のことより、子供や家族のことを何よりも優先で生きてきた母。心配ばかりかけたな。もっと旅行に行ったらよかったのに、もっと自由に、もっと好きなことをしたらよかったのに。これもまた「もっと」がとまらんない。
关于母亲, 我突然想“母亲的人生过得幸福吗?”。比起自己的事情,总是把孩子和家人放在第一位的母亲。总是在操心的母亲。要是再多出去旅游一些、再自由一些、再多做些自己喜欢的事情就好了。关于母亲,我也停不下“再多一些”的思绪。
自分が人生を折り返したことで、考え始める、人生という時間。最近、ふとした瞬間にそんなことを思い考えたりしている。
相同思绪的反复出现,让我开始思考所谓人生。最近,时常会在转瞬间思考人生。
自分の人生も同じく。もし明日で人生が終わるとしたら、「ああ、私は幸せな人生だった」と言えるだろうかと自分に問いかけたりする。
对于自己的人生也是一样的。如果我的人生将于明天结束,我也会问问自己是否可以说“哎呀,我过了一段幸福的人生”呢。
もちろん今、私は幸せ。愛おしい息子たちと生きがいである仕事に恵まれ、家族も健康でいる。でも、「たったひとつの人生」として考えると、ここにも「もっと」という気持ちがぶくぶくと泡のように浮かんできた。
当然,此刻我是幸福的。我有我可爱的儿子们,有一份有价值的工作,而且我的家人身体健康。但是,一想到这是一段“绝无仅有的人生”,我的心头再次噗噗冒出了像泡泡一样的思绪——“想再多一些”。
编辑:kasumi
翻译:小麦
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